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森喜朗(元内閣総理大臣・前衆議院議員)

森喜朗(元内閣総理大臣・前衆議院議員)
昨年11月、43年間の国会議員生活に幕を下ろした、政治家・森喜朗。32歳での初当選以来、43年間自民党ひとすじ、高度経済成長下、「金権政治」と果てしない「派閥抗争」、日本経済が沈む中での野党転落、「崩壊」そして「再生」へと揺れ動いた時代を過ごした。そのとき何があったのか…。総理大臣にまで上り詰めた男が、国会議員を引退した今、43年間にわたる日本の政治の裏側を全て明かす。
  • 第1話(8月22日放送)
    「総理に上りつめた男の原点」

    1937年、森喜朗は石川県能見市、かつての根上町の地主の家に生まれた。戦後、父は小作人に農地を解放し、地元の絶大な信頼を得て根上町の町長となる。その後、早稲田大学ラグビー部と出会った森は、高校時代をラグビーに捧げた。そして憧れの早稲田大学に入学。しかし超一流の選手達が集まる名門の中で森は体調を崩し、入部4ヶ月でラグビーを辞めることに。失意の森に声をかけたのは地元の先輩。早大の弁論サークル「雄弁会」への誘いだった。そこで初めて政治に興味を持った森は政治家を志すことに。大学卒業後、新聞社を経て自民党衆議院議員・今松治郎の秘書になる。そこで壮絶な選挙戦を目の当たりにした森は、32歳でいよいよ国政へ。知名度が全く無いまま、地元・根上町を含む当時の石川県第1区から出馬したのだ。

  • 第2話(8月29日放送)
    「果てなき派閥抗争の末路」

    32歳で衆議院議員となった森喜朗は、当選後自由民主党に追加公認されると、選挙で応援してもらった岸元総理の派閥を引き継いだ福田赳夫の派閥に入る。1972年、総裁の座をめぐり、田中角栄と福田赳夫の派閥が激しい闘いを繰り広げる“角福戦争”が起きる。結局福田は総裁選に敗れ、田中内閣が誕生するが、森は政治の世界の恐ろしさを知ることに。2年後、金脈問題で田中角栄が退陣すると、三木内閣を経て、1976年ついに福田内閣が誕生する。その後1988年のリクルート事件で竹下内閣が総辞職すると、森は小沢一郎ら各派閥の若手とともに次期総裁を決める中心的存在となり、総裁に海部俊樹を据える。1991年、森は、党三役の政調会長になった。ところが、「佐川急便事件」により自民党の崩壊が始まったのだ。

  • 第3話(9月5日放送)
    「野党転落…復活へ茨の道」

    1993年、派閥抗争の末、国民の支持を失った自民党は野党に転落し、自民党を飛び出した小沢一郎が中心となって8つの政党による連立政権が発足した。しかし、半年で連立政権はほころびを見せ始め、新党さきがけに続き、与党第一党だった社会党が離脱する。自民党の幹事長だった森は、それまで敵対していた社会党との連携に奔走、ついに社会党の村山富市を総理とする、自民・社会・さきがけの3党による連立政権が誕生。自民党は野党転落から10ヵ月で与党に返り咲いたのだ。しかし、1995年1月の阪神・淡路大震災、同年3月の地下鉄サリン事件と難題にぶつかり、村山総理は辞任。自民党の橋本龍太郎が総理の座につく。それを引き継いだ小渕恵三のもと、森は幹事長として党内をまとめていた。ところが、小渕総理が突然倒れ、森が総理の座に。しかし、実は森も病に侵されていたのだ。

  • 最終話(9月12日放送)
    「今こそ、日本のあり方を問う!」

    2000年、小渕恵三に代わり総理大臣になった森喜朗は、その遺志を受け継ぎ、まずは日露問題に取り組む。プーチン大統領との太いパイプを作り、さらにヨーロッパ各国を歴訪、アフリカ各国の大統領を日本に招くなどして、「九州・沖縄サミット」を成功させる。そしてその成果を踏まえ、国内のITインフラの整備を進めていく。ところが実は森はこのとき、前立腺がんに侵されていたのだ。森は1年くらいで辞めるつもりで、特に外交に対し精力的に取り組んだ。アフリカ各国、インド、そしてロシアとさらに関係を深めていった森だったが、2001年、「えひめ丸」の事故の対応で批判を受け内閣支持率が低下。自ら身を引き、同じ派閥の小泉純一郎総理が誕生。前立腺がんの手術を無事終えると、森は後見人として、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫と歴代の総理を支え続けた。そして昨年、いよいよ引退を決意する。

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